2011年




ーー−4/5−ーー アームチェアCat板座バージョン


私が製作する椅子のラインナップは、それぞれのタイプに編み座版とクッション座版がある。つまり、この二種類しかない。過去に板座の椅子を作ったこともあったが、現在のラインナップには入っていない。木工家が作る椅子としては、これは珍しい事だと思う。世間の木工家の椅子は、ほとんどが板座版である。

 なぜ編み座とクッション座しか作らなかったか。理由は、実用性に狙いを定めたからである。詳しくは、「木と木工のお話」の第24話をご覧頂きたい。

 この路線を、今日まで続けてきたわけだが、ここへきて少し遊びたくなった。遊びというと語弊があるかも知れないから、視点を変えた新しい試みと言い換えよう。アームチェアCatの板座版を作ることにした。

 Catは2001年に編み座版でスタートした。その後、クッション座版も作るようになった。どちらも多くのお客様にお買い上げ頂いたが、これまでのところ編み座版の方が多く出たと思う。板座版を試みたこともあった。10年ほど前の事だったが、一脚だけ作って終わりとなった。その一脚は、長い間在庫品として残り、幾度もの展示会に出品された後、一昨年にあるお客様の元に移った。

 椅子は実用性が命と信じ込んでいたから、板座版に対する関心が薄かった。製作者本人が気が入ってない状況だったから、発展性が閉ざされていたのは当然とも言える。

 今回、そのCat板座版を復活することにした。そこに至った理由は、大小様々あるが、一言で述べるなら、木工品としての魅力を凝縮するということになろう。板座の椅子は、全てが木で出来ている。木の椅子というくくりで見るならば、板座の椅子が最もストレートに訴えかける。日常的に使う椅子としては、多少の難が有るかも知れないが、実用性から外れた部分の魅力というものも、見直して良いだろう。



過去に一脚だけ作った椅子の改善点を思い出しながら、図面と型紙を修正する。


元の資料が残っているから、設計作業は比較的簡単にできる。これをゼロから始めたら大変だ。


逆に言えば、一度作ったものは簡単に諦めたり放棄したりせず、年月をかけてもじっくりと取り組んで、陽の目を見るように持っていく心構えが大切だと思う。


 修正した図面と型紙を使って、製作をした。

 問題は座板の加工である。他の部分は、編み座版と変わりが無い。

 まず木取り。最終的には一枚板が好ましいが、とりあえず今回は試作の意味もあるので、二枚矧ぎで板を作った。

 それから、座板の四隅に刻むホゾ。木工の基本動作でカバーできるものだが、やはりちょっと毛色の違う加工は、慎重な検討の後に行わなければならない。

 そして座面のえぐり加工。技術的な問題は無いが、ゴリゴリと削る力仕事であるから、この歳ではけっこうこたえる。まあこれも、慣れと道具の改善で、ラクに行えるようになるだろう。

























 下の画像は、ペーパーがけの段階のもの。この後の塗装を、透明のオイルフィニッシュにするか、木目出しの着色塗装にするか、はたまた漆仕上げにするかで、またバリエーションが広がるだろう。


    






ーーー4/12−−− 隣の芝生


 知り合いの木工家K氏が、一人の若者を連れて工房へ来た。その若者は、K氏に弟子入りを希望しているそうである。私の仕事も参考にさせるつもりで、引合わせたらしい。

 工房で雑談をした。私の経歴を聞いてきたので、かいつまんで説明をした。弟子入りをせずに、いきなり工房を開いたのかと問うので、そうだと答えた。それに関して、ちょっと持論を付け加えた。

 自分は技術専門校で木工家具作りを学んだ後、すぐに工房を立ち上げたが、それは年齢的な事もあっての選択だった。若い人だったら、木工所に勤め、信頼できる親方に付いて修行をした方が良い。学校での勉強も大切だが、仕事の現場で身に付く事も多く、職業人としてはむしろそちらの方が重要だ。自分にはそういう経験が欠如しているので、不利に感じることがあると。

 どういう点が不利に感じるのかと突っ込んできたので、こう応えた。道具や機械の使い方の工夫やノウハウは、現場で仕事をしている人は圧倒的に多くのものを持っている。業者とのつながりも広い。また、顧客を掴む(仕事を得る)ということの実務に長けている。つまりトータルの情報量が豊富である。さらに付け加えて、短時間に大量の物を作ること、つまり「量をこなす」ということが、現場で鍛えられる大きな部分だと思う、と言った。


 するとK氏が言葉を挟んだ。確かに、量産を経験することで身に付くことは大きい。大量のものを一心不乱に加工する経験を通じて、どんな仕事が来ても「何とかなる」という自信が付く。また、速さを競う仕事をこなすうちに、優先すべきことと、手を抜いて良いことの見極めが出来るようになる。それも重要なことだ、と。

 ちなみにK氏は名の知れた木工家具メーカーで何年か働き、その後独立して自営でやっている。本格的な木工所の仕事の有様や、そこで働く職人の生活について、実体験として知っている。

 「だけども」と、K氏は意外な方向へ話を展開した。独立自営の木工家の中で、作品の出来栄えという点から見れば、必ずしも木工所上がりの職人が優れているわけでは無い、と言うのである。確かに木工所出身者は、定型的な作業のスピードは早い。その反面、「こうやればいいのだ」という固定観念に縛られて、全体が見えない傾向がある。また、指示されたことはキッチリとやるが、自分で新しい物を作り出せるかと言えば、話は別。雇われの職人や、下請け仕事ならそれで良いのだろうが、独立自営の形で、オリジナル作品で勝負をするには、過去の経験が却って足を引っ張ることもある。

 また、木工所の職人は、いかに短時間で、言い換えればいかに低コストで仕事を片付けるかが求められる。そういう事が身に染み付いているので、自分の仕事を過小評価する傾向が強い。安く作れるということを自慢したりする。企業に勤め、月例賃金を貰う立場ならそれで良いが、自分が作った品物に値段を付けて売る仕事では、そのような発想は不利であると。

 木工所と言っても様々あるだろうし、親方といっても、勤め人の親方と自営の親方では違うだろう。だから、K氏のコメントは全てに当てはまるわけでは無いと思う。しかし、「隣の芝生は青い」のたとえ通り、自分が関われなかった世界に対する羨望があり、またその裏側もあるという事を知り、興味深かった。







ーーー4/19−−− 車の運転を指導する


 茨城で家庭をもっている長女が、我が家に滞在している。旦那は大阪へ長期出張しているので、この里帰りはしばらく続く模様。離れて暮らすのは辛かろうが、震災後の混乱した状況の中、我が家に居てくれるのは、親としては安心である。

 娘は、のんびりと過ごしつつも、家事の手伝いをしながら、主婦としての素養を磨いている。そして、車の運転の練習もするようになった。学生時代に免許は取ったが、その後全く運転をしていない。今後の生活を考えれば、車の運転は必須事項。この地の自動車学校でペーパードライバー講習を受けることも考えたが、その前にちょっと慣れておこうということで、私が手ほどきをすることになった。

 ペーパードライバーに付き合うのは、実は三回目である。一度目は、この地に引っ越してきた当初、家内を指導した。有明山神社の駐車場を、グルグル回った。エンストや空ぶかしをして、ガタガタな走りをする車を、通りがかりの人たちが不思議そうに見ていた。

 二度目は次女。少し離れたスポーツセンターの駐車場で練習をした。免許を取ってからそれほど期間が開いてなかったので、クラッチやギヤーの役割から説明をする必要は無かった。ちなみに我が家の車は、代々マニュアル車である。

 三度目が今回の長女。練習場は、前回と同じスポーツセンターの駐車場。平日ならほとんど全く人も車もいないので、安全に練習できる。免許を取ってから6年ほど空白期間があるので、自動車が動く原理から説明しなければならない。それがなかなか難しかった。

 普段何気なく運転している車だが、その操作を改めて説明するとなると、思いの外つまずいてしまう。教習所の指導員のようなプロフェッショナルとは違って、このような機会は滅多に無い。だから当然とも言えるのだが、無意識にやってきたことを言葉で説明するもどかしさが、ちょっとした驚きの体験だった。

 スポーツの名選手が、必ずしも優れた指導者にならないと言われたりする。何気なく出来ている事ほど、理屈で説明するのが難しい。考えずにできるなら、それで良いという考えもあるだろう。しかし私などは、頭で理解し、納得し、説明できないと落ち着かないという、不器用な人間である。慣れ親しんだ事でも、時には振り返って、原理や理論を確かめる事が必要だと考える、進みの遅い人間でもある。

 ところで、二年ほど前に次女が練習したときのこと。近くで見ていたおじさんがいた。そして、「練習しとけば教習所の金が少なくて済むね」などと言うので、「免許は持ってるんだけど、全然運転してなかったので、練習してるんですよ」と答えたら、「なんだ、免許持ってるんなら普通に走ればいいじゃん」と言った。田舎道なら、交通量も少なく、事故を起こす可能性が低いから、道を走りながら慣れればいいじゃないかという発想だろう。

 こんな事を思い出した。以前新聞記事で読んだものである。

 この地と同じような農村地帯で、70歳過ぎの男性が、車を運転中に軽い事故を起こして警察の調べを受けた。警官が驚いたことには、その男は免許を持っていなかった。所持していなかったという事ではない。これまでの人生で、免許を取得したことが無かったというのである。50年以上に渡り、無免許運転をしていたのだ。それでも咎められる機会は無く、自宅と農地の間を軽トラで行き来することを繰り返し、普通ならそろそろ免許を返納する年齢に達していたのであった。






ーーー4/26−−− 歳をとるのも悪くない


 先日あるラジオ番組で、ベテランの年齢に達しているポップス・ミュージシャンが、「この歳になっても、ギターが前より上手くなった」と言っていた。それを、「驚いたよ」という感じで話していた。それは率直な感想だと思われた。

 体力や頭脳は、加齢と共に衰える。昔出来た事が思い通りに出来なくなることはあっても、進化したり上達することは想像しにくい。長年かけて真剣に取り組んできたことなら、なおさらである。50代になってからランニングを始めた人は、走るたびに記録が上がるだろうが、若いころから走っていた人は、50を過ぎて自己記録を更新する可能性は無い。

 文学や演劇などの世界なら、老境に入って増々冴えるということもあろうが、体を使った仕事は、なかなか難しい。視力は衰えるし、筋力も弱くなる。神経が鈍くなれば、手先の動きもままならなくなる。頭がボケれば、ミスも多くなる。冒頭のミュージシャンも、そういう口惜しい体験を日々重ねているから、上手くなったことに驚きを感じたのだろう。

 さて、私の仕事はどうかといえば、加齢がもたらすのはマイナスばかりではないと感じる昨今である。視力が落ち、体力も落ち、腰が痛くなり、集中力も続かない。そういうマイナス面は確かにあるが、その一方で進化している部分を感じることもある。腕前が上がった、上達した、と言い切って良いかどうかは分からないが、「以前より思い通りにできる」という感じを抱く事がある。難しい事が簡単に出来るようになったということは、進歩したと言っても良いかも知れない。

 そういう進歩がどこから生じるのか、時々考える。

 若かった頃は、体力に任せてがむしゃらに仕事をする。それが能率が良いように思うわけだが、意外と大局的に見えて無い。歳をとると全般的にゆるくなり、スローペースになる。そうなると、立ち止まって考えるようになる。考えれば工夫が生まれる。十数年前から行っているある加工に関し、今になって改善策を思い付くことがある。それがまた、自分でもニヤリとしてしまうほど的を得ているのだ。

 工夫をするという事は、一つのチャレンジであり、それが成功すると充実感があり、楽しさを感じる。楽しい仕事は前に進む。そしてまた新しいアイデアも生まれる。体が衰えて行く分だけ、頭の中に何か湧き出しているのではないかと思うくらいである。

 話はがらりと変わるが、若かった頃、登山サークルで北アルプスに登った時の事を思い出す。入山二日目に、雨に降られ、風も吹いて寒かった。ある山小屋の軒先で雨宿りをしながら昼食をとった。一同は、期待した登山がとんだ天気に見舞われ、意気消沈していた。同じように雨宿りをしていたパーティーがいた。かなり年配の集団で、中には60過ぎと見える女性もいた。その人たちが、実に楽しげに嬉々として、笑い声を交えながら食事をしていた。私の傍らにいた同僚は、「オレたちの負けだな」と言った。

 方やエネルギーに溢れ、何でもできる気持ちの者たち。方や「これが最後かも知れない」と思いながら、ひと時を大切に慈しみながら過ごす人たち。どちらが良い悪いという事ではないが、歳を取るのは必ずしも悲しい事ではない。







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